[活動レポート 09/30] 今後のタンゴ増員活動のあり方

Our Interest

踊る相手の根底にある共有知識としての駆け引きが「ダンスの動き」「タンゴの音楽」を媒介として出来ることがタンゴダンスの楽しみであると私は考えている。ここを追及することが「タンゴが好き!」の活動の原動力となっていると思われる。

たとえば、以下に示すのが、私の考える、タンゴの踊り始めの瞬間(タンゴ・ビッグバン)の前の時間?に繰り広げられる様相だ。

そこで肝となる、コミュニケーションとしてのタンゴが円滑になるかどうか、裏を返せばミロンガに活気が無いと感じる時というのは『ミロンガの人の賑わいの演出』というところが軽視されてきているのではないか?という問題提起につながる。

たとえば、最近のミロンガを見てみると、ゴージャスな海外のビッグネームが並び、さすがと思わせるデモンストレーションが続き、そして入場料としても案の定と思えるような形態になるものがある。それらを筆頭に、今のミロンガでは多くの場合にこれらが模倣され、必ずお決まりのデモがあることによって跳ね上がる入場料を、その代わりに他のサービスを削ることによって賄う傾向にあるだろうか。

ここで削られたサービスの内容としては、酒がまずい・床が悪い・選曲がテキトー・・などなどという細かい不満もあれば、本質的にミロンガの主であったはずの『ミロンガタイムでの人の賑わいの演出』に関わるようなものもあるだろうか。参加する客からしてみれば、「デモンストレーションがあってそれだけでも満足できる」という観点では一見敷居が下がっているように見えるが、踊りに関する他の面ではなかなか厳しいものが要求されていて結果として敷居は上がっているように感じる。

第一に初めてミロンガに参加する人が次回足を運びにくいことにつながるだろう。簡単に言うと次のような例はいかがだろう。サルサ・パーティでタンゴのことを聞いて初めてミロンガという物に参加してみたところ、ちょっと踊ってみようにも踊れない。レッスンをやるというので30分参加してみて、さすがにダンスやっていただけあってうまいね、などと言われてタンゴを踊れるような気になってくる。勇気を出して座り込んでいる人を誘ってみるが足が痛いとか言って断られ、やっと踊ってくれたオバサマにはステップ一歩ずつにいちいちダメ出しされる。しまいにはサルサの踊りってのは腰の動きがどうのこうの、と言われる。あぁ、今日はほとんど体を動かしていないな。などと思っているうちに、やがてデモンストレーションが始まって、おおさすがにすごいね!ああ今日は来てよかった。さぁ帰ろうかと。でもタンゴってのは大変だからもうこりごりだ。

第二に長年タンゴに携わった人が足を運びたくなくなるという深刻な事態にもつながるだろう。少し乱暴なことを言うならば、「デモンストレーションがあってそれだけでも満足できる」人にとってみればミロンガタイム(一般の人がダンスを嗜む時間)は苦痛の時間でしかないし、デモンストレーションに飽きればもうタンゴには足を運ばないこともある。さらにまた、デモンストレーションを自分でやってみようと思う人あれば、結果としてミロンガなんか行ってないでレッスンに没頭してペアを組んで練習しまくることを考えてしまうかもしれない。これらの傾向は何人かの友人に尋ねてみても共通する傾向のようで、ミロンガ離れ・ミロンガ行き詰まりという一つの結果として現れているのではないかと想像している。長年タンゴに携わった人にとってはどこのミロンガに行っても「踊りたい人がいない」ことで、最終的につらい決断を迫られることもあるだろう。

タンゴが好き!では、「タンゴ増員計画」と称してタンゴの魅力を色々な人へ伝える活動を行っている。ロングテールという言葉もあるように、インターネットを通して実に小さなイベントや活動でさえも耳にすることができるようになり、「タンゴ」ということについての取っ掛かりは広がっているのだろうと思われている。

Our Approach

ミロンガ自体をもっと楽しむために、我々に何ができるか?

「踊る」「弾く」そして「誘う」。

まさにこのアプローチは今も健在なのではないか、と思っている。さきほどの『ミロンガタイムでの人の賑わいの演出』を行うことについて考えてみれば、主催者・そうでない人という対比ではなく、ダンスを踊る人・演奏をする人・そして盛り上げる人という立場でそれぞれミロンガタイムを賑やかにしていけばいいのである。このような図式はダンス音楽に共通で成り立つものであるが、特にタンゴについてはダンス・音楽・歌詞という物がそもそも切っても切り離せないものとして誕生してきたルーツがある。

しかしながら、「タンゴ」というひとつの言葉の捉え方でさえも実に多様な立場がある。たとえば、「タンゴ音楽」という物について図にしてみると、下のようになる。

そんなコミュニケーションにおける共有知識としての「タンゴの音楽」が暗黙知としてでも広がれば、より面白いね!そしてもっと人も来るだろうね!

ということで、本当に余計なお節介であることは重々承知だけれども、次のようなタンゴ界の変革を個人的なゴールとしている。

演奏家とダンサーの接点を、つまり踊りと音楽の接点を模索していくアプローチ。
それにより、本来のタンゴとしての consistent な解が見えるかもしれない、などと勝手に考えているところである。

Our Vision

最後は、もっとつまらない話になります。

タンゴ増員計画の考え方の根底は、タンゴを活性化できるプラットフォームとなることとしている。

先日、とある会合で一緒に講演する機会があった先生の文献に
ちょうどいい文面があったので、ここに敢えて引用させて頂く。

参考:「根来のプラットフォーム・ビジネス」
http://d.hatena.ne.jp/ichieido/20070125

まず、プラットフォームをビジネスとしている形態の種類は以下の3つとされているらしい。

①インフラ型プラットフォーム・ビジネス:不特定の主体間の生産や商取引を可能にする基盤を提供する私的ビジネス
②取引仲介型プラットフォーム・ビジネス:主体間に介在して、第三者間の取引を活性化させるビジネス
③インターネットプラットフォーム・ビジネス:取引仲介型プラットフォーム・ビジネスのインターネットにおける部分集合

タンゴ界において見るならば、プラットフォームとして機能しているかどうかは置いておいて、
①・・・プロ活動に付随する形態、
②・・・TiempoやLATINAやNPO、各種同好会などの形態、
③・・・「タンゴが好き!」などのインターネット上で行われる形態、
という分類となるかもしれない。

「タンゴが好き!」としては、①・②で手の届きにくい、痒いところをカバーしたい。

同参考文献によると、プラットフォームとして求められているものは、検索性・網羅性・中立性・信用供与・情報整理の5つだそうである。なかなかタンゴにおいてこれを実現することは難しいが、ここを求めていくことが一つの道しるべとなっている。

ここを意識しながら、プラットフォームとしての役割、つまり情報交換をする場所を提供できること、そして、ダンサー・演奏家・主催者などの間に入って、その関係をつなぎ止めるような役割を担うこと、を目標にしていきたいと考えている。

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