[特派員レポート 2008年11月] 上海探戈レポート – Loca Maman

[特派員レポート 2008年11月] 上海探戈レポート

中国・上海でDamian y NancyのWSとMilongaがあると聞いて、10月31日(金)~11月3日(月・文化の日)の連休に娘と行ってきた。
今、カニが美味しい季節だし、主役がタンゴかはちょっと微妙。

ちなみに今回のWSとMilonga、昨年行った台北タンゴフェスティバルの主催「台北探戈Taipei Tango」Daniel y Stacy (http://groups.msn.com)のリンク先から見つけた。

今回のは「探戈幇TangoBang」Vivian y Charlesが主催。
WSは10月29日(水)~11月2日(日)、カミナンドからコルガータ、ボルカーダまで9コマ。Weekdayは夜のみ、土日は昼間から。Milongaは最後の3日間、10月31日(金)、11月1日(土)、11月2日(日)毎晩。いずれも実際には21時~26時で、それぞれに趣向あり。事前にメールでサカーダ、ワルツ、コルガータとボルカーダの3コマ、そしてMilongaは3日連日で予約、そして会場そばのホテルの予約を依頼。

上海1日目 10月31日(金)

お昼過ぎ、上海入り。

リニアモーターカーと地下鉄を乗り継いで、上海の最新市街、浦東新区のホテルへ。ホテルは国内向けの全国展開のチェーンホテル「如家快捷Home Inn」。シャワーだけど、朝食は美味しいし、フロントは気持ちの良い対応だし。ただ、国内向けだったので、両替がない。保証金が宿泊代+α、つまり前払いと同じ。不便はその程度。

まずは川向こうの旧市街・南京路へ。
南京路は庶民の街、昔からの繁華街。デパートに入ったり、商店を覗きながら市民の気分。新旧様々なビルの並ぶ大通り、あちこちに見慣れた看板、スタバ、ハーゲンダッツ、マック・・・。変わって行くなぁ、中国。

夕食は屋台。市民に混じって、涼粉(くず餅みたいなもの)、小龍包、麻辣湯(具の選べるピリ辛スープ)。皆火を通したてだからまぁ安心か。

21時 Milongaへ。この日はチャイナドレスかハロウィンスタイル。60名程度の参加。
会場はCharlesの経営のタンゴバー「探戈幇TangoBang」。イートンホテルの低層部分の1、2階。1階がバー、2階がミロンガ会場(100㎡)、レッスン場(50㎡)と+αと恵まれているが、床はすぐ下がコンクリらしく硬い。2時過ぎまで踊る。ホテルは会場の斜向かい。ラクチン、ラクチン。

上海2日目 11月1日(土)

豫園へ。ここは昔からの市民の憩いの場。400年近く前の建物と庭園。見事。

お昼は「南翔酒家」の小龍包と決めていたが、長蛇の列。諦めて、市民がしているように買い食い。長い年月の中で淘汰され美味しいお店だけが残っているから、何処も美味しい。ついぎりぎりまで遊んでしまい、タクシーの運転手さんをせかせてホテルへ。

15時からのレッスンだったが、スタートが中国時間(押せ押せ)だったので、どうにか間に合う。
サカーダ。中国語ではもろ「置換」という、位置を置換すると説明していた。女性のいた位置に男性が入っていく、女性は男性の足が入って来ると同時に体重移動して、場所を空け、そこに男性が行く。

初めはヒーロ、ヒーロにサカーダを入れていく、次は回転角度を大きくして、さらに女性もサカーダ、そして最後がバックサカーダ・・・男性をして、サカーダ をかけようと入った時にはいつも女性がいなくなっていて困った。もうちょっと待ってよぉ! 私も女性の時にはやってんだろうなぁ。

レッスン終了後ミロンガまでの間に、上海カニの老舗「王宝和酒家」へ。
人気のお店なので、日本から予約しておいた。

お部屋に通され、・・・初めてのお店は緊張する。菜単(メニュー)とガイドブックをつき合わせながら、ん~ん、まずは上海名物の油爆河蝦、後は蟹尽くし:蟹粉蟹肉、蟹粉豆腐、蟹粉青菜、蟹粉小龍包、蟹粉大排翅そして清蒸大閘蟹。大好きな酔蟹はなかった。大好きな清炒蟹粉(蟹ミソだけの炒め物)は菜単になかった。超濃厚、ミソの脂が堪えられない、あのお味をもう一度皆でと思ったけど、無念!

どの料理も薄味、だけど最上等のスープ・上湯を使っているのか本当に良いお味。
そして目的の蟹。今の時期はオスの季節の最後、そしてメスが美味しくなる、両方楽しめるお得な時期なのです。当然両方いただきました。メスは肉はあっさりしているけれど卵もたっぷり入っていて美味しい、オスは肉そのものがとっても重厚な味。堪能しました。
タクシーを飛ばしてもらって、ホテルで着替えてから、Milongaへ。

この日はGran Milonga。男性はブラックタイ、私もフルレングスのお衣装。
Damian y Nancyのデモかがあった。ノリノリ大サービス、5曲。

昨日から踊っているので徐々に打ち解けてきた、おしゃべりもいっぱい。情況が見えてくる。

ミロンガ60名の内訳:明らかにタンゴのために余所から来た人が、香港から10名弱、シンガポールから若干名、日本からが私たち計7名(+1名)、そして フランス、ドイツ、イタリア、アルゼンチン人で上海で仕事をしている人が10名弱。さらに上海在住と言う中に、実は台北から仕事で来ているという人が結構 多くて10名は下らないと思う。と言うように差し引いて行くと、生粋の上海っ子は20名程度ということになるのかな。踊る合間に聞くので私の情報源はほぼ 男性だが、女性は地元上海の人が多いと見た。

さらにL君曰く「上海のタンゴは現在ふたつ。浦東がこの「探戈幇」で、浦西では地中海料理のレストラン「Mediterraneo」でミロンガがあるよ。20人程度だけど。」

帰国してから「探戈上海TangoShanghai」のHPを見るとありました。素敵なレストラン。全く中国ではない世界。写真を見ると踊った欧州人や亜人が。かなりかぶってる。こちらはベースがなく、プラクティカも劇場のスタジオを借りている。
この日は情報の収集がいっぱいできた。

26時過ぎ終了。

素敵なサロンを踊るT氏とはお別れ。彼は遠い、上海の南、杭州からさらに先、たとえ新幹線があっても3時間近くはかかるだろう街から来ていた。明日帰って月曜から仕事。でもミロンガは9時~夜中の2時過ぎまで。土曜までしか踊れない。最後に写真をたくさん撮って、再会を約して別れる。

で、調べると上海の通常のMilonga、「探戈幇TangoBang」も「探戈上海TangoShanghai」も土曜の夜なのだ。彼のように、かなり遠くから来ている人が多いのかも知れない。

上海3日目 11月2日(日)

3日目は、まずどうしても「南翔酒家」の小龍包を食べたい私のために、まず再度豫園へ。店に上がって、目の前の湖心亭を見ながらいただく。さらに前日食べはぐった気になる食べ物を全て食べる。

その後、新天地へ。

ここは「里弄lirong」と呼ばれる集合住宅があった所、外界と遮断するための「石庫門」があるので「石庫門造り」という建築様式。集合住宅の各戸の境は 「うだつ(防火壁)」で仕切られている。1900年代になって上海に人がなだれ込んだとき、狭い地域に多くの人が住むために日本の長屋をまねて造ったと か。それが近代化する上海に合わず、取り壊されるという話だったが、観光地「新天地」として蘇った。
斬新なバー、欧州調のレストラン、シノワズリの小物や洋服の商店、もちろんここにもスタバ、ハーゲンダッツが・・・まるでパリの街、でも建物は「石庫門造り」、そして石畳がよく似合う、不思議な空間。品物のお値段は銀座並。でも、観光客だけでなく、上海の若者達にも人気のようだ。

14時~17時半で2 Lecciones。ワルツ、コルガータとボルカーダ。
娘はとっとと私の男靴を履いた。私は今日は女で通すぞ。ワルツは皆一斉にリズムで行ったから、皆何となくできたみたい。
でもコルガータとボルカーダは彼らにとってかなりの難物だったようだ。アウトバランスができない、みんな自分で立っちゃう。

レッスン終了後は小腹が空いたので、そばの「回民食堂」へ、つまりイスラム式中華料理です。豚肉はないけど、孜蘭羊肉麺(羊肉を香料ヅーランで味付け した汁なし麺)、牛肉青菜麺、青椒土豆絲(ピーマン、ジャガイモの千切り炒め)。毎食だと飽きるけど、たまにはこういうのもいいなぁ。庶民の味。

ちょっと遅めの21時過ぎにMilongaへ。Farewell Milongaだったが、日曜なので20名くらい。
23時過ぎDamian登場。今日は全員と踊ると宣言していたが、Milongaは23時45分まで。私たちまでは無理だろうと思っていたら、ちゃんと回ってきてくれた。結局26時過ぎまで踊ってました。

上海最終日 11月3日(月)

最終日はのんびりイートンホテルでゴージャスなブランチ。
その後、Charlesが紹介してくれたホテル脇のマッサージ屋さんで「足裏マッサージ」と「角質とり」。日本円で1000円弱。超満足。
終了後、預けておいた荷物をとり、タクシーで空港へ。

結局、上海のタンゴの拠点は2つ:
浦東の「探戈幇TangoBang」 http://www.tangobang.cn/main.html
Leccion水土、Milonga金土日、Practica毎日
浦西の「探戈上海TangoShanghai」 http://www.tangoshanghai.com.cn/index.asp
Milonga土、Practica水
いずれも人を招聘してのWSをしている。

上海中心部真ん中を南北に流れる川の東岸、浦東は新しい上海を象徴する超近代的なビジネス街。30年近く前に行った時には工場街だった。

西岸、浦西の旧中心街のはずれ、静安寺。この辺りは旧米英共同租界で、旧フランス租界も近く、もともと素敵な洋館の多い地域。「探戈上海」のかもしだす雰囲気もこの辺から来ているのかも。帰りの空港で遭遇した香港のAndore君によれば、上海のタンゴ人口は100人程度、先生も5ペア。香港の300人、先生5ペア、さらに今は若いPablo y Noeliaが常駐している情況とはちょっと違うかな。

興味の尽きないアジアのタンゴ。台北も上海もまた行きたいです。

最後にタンゴ用語の中国語版を
タンゴ 探戈、
ミロンガ 米隆迦、
バルス 華爾滋、
ミロンガ 舞会、
バレハ 舞伴、
テクニカ 技巧、
アブラッソ 擁抱、
カミナンド 走路、
クロス 交叉、
オーチョ 八歩(劃八)、
ヒーロ 旋轉、
ガンチョ 勾脚
ボレオ 甩腿、
サカーダ 置換、
バリーダ 拖曳、
パラーダ 停止、
ボルカーダ 前傾、
コルガータ 後傾、
プラネオ 共軸旋轉、
エンロスケ 螺絲、
ラピス 鉛筆(原地劃圈)

っていうところかな。
なかなか的を得てると思うんだけど・・・。