[特別寄稿2007年12月] あるタンゴ中毒の症例(重度の患者)について – Tangofun

あるタンゴ中毒の症例(重度の患者)について – Tangofun

あるタンゴ中毒の症例(重度の患者)についてご紹介させていただきます。

この患者はいま、ブエノスアイレスに住み、タンゴを勉強する傍ら、タンゴフリークのための宿屋を始め、そこでセントロスタイル(アルゼンチンタンゴのサロンスタイルの1つ)のプライベートレッスン、また、ミロンガでのグループレッスンのアシスタントに明け暮れています。

症状 第1段階

 この患者がタンゴを始めたきっかけは、その頃(2003年)勤めていた会社の健康診断で、糖尿病と診断されたことでした。糖尿病は、薬を飲んで治す類の病気ではなく、食事療法や運動療法によって、うまく付き合っていかなければいけない厄介な病気です。そして、医者から、運動療法として何か継続してできるものがないか、探すように言われました。ちょうど時を同じくして、NHK教育テレビで、小林太平先生の「趣味悠々」が放送され、それを見てアルゼンチンタンゴを始めてしまいます。これは、糖尿病の合併症としてタンゴ中毒症が発症した珍しい症例と言えます。

 皆さんもご存知のように、タンゴ中毒症は、一度取り付かれてしまうと、止められない麻薬のようなものです。この患者の場合、最初は週に1回グループ・レッスンに通う程度だったのが、1ヶ月後には、その他にプライベートレッスンを取り、ミロンガデビューし、3ヵ月後には、毎日レッスンとミロンガに通い、ブエノスアイレスに来てしまうのです。中毒症状の進行のスピードが、加速的に速くなった症例といえるでしょう。

 初めてのブエノスでは、単なる踊りだけではない男女の駆け引きを、本場のミロンガで体験し、日本のミロンガでは、味わえない心地よさを見つけてしまい、日本に帰った後も再び来たいという欲望に、さいなまれるようになります。
翌年10月にブエノスで開催された「ワールド・タンゴ・フェスティバル」に参加するために、2度目のブエノスを体験し、その時、自分のためのお土産として、フロリダ通りのタンゴショップで、DVDを購入。日本に帰って、早速DVDを見た時に、自分の求めていたタンゴに、初めて出会った気がしたようです(それまでにもすばらしい先生やダンサーには、出会っていたのですが、その時はまだ、自分が成長していなかったのだと思います)。そのDVDの中で踊っていたのが、この患者の今の師匠、ダニエル・ラパドゥーラだったのです。そして、DVDを見ながらセントロスタイルを独学で勉強し始めます。

 セントロスタイルは、ブエノスアイレスの混んだミロンガでも他の人にぶつからず、タンゴを楽しむことが出来ることを目的としたスタイルなのです。そのため、アブラッソは深く組み、踊っている間、胸のコネクションを維持し続けます。自分とパートナーの立っているスペースを利用して踊るのです。当時のこの患者の悩みは、レッスンで習ったステップが、すぐにミロンガで使えないこと。そして、一つ一つのステップの終わりにクロージング・ステップを使ってしまうことでしたから、セントロスタイルは、その両方を一気に解決してくれる、魅力的なスタイルだったようです。この患者は、混んだミロンガでも女性を誘って踊れることに、快感を感じ始めてしまいます。このようなスタイルにめぐり合ったことにより、患者の症状は、ますます進行していったようです。

 さらに、この患者にとって、症状を加速させることが、起こりました。DVDでしか見たことのなかったダニエル・ラパドゥーラが日本にやって来たのです。棚田先生がゴールデンウィークに開催するタンゴウィークで、本物のダニエル・ラパドゥーラに会うことが出来ました。患者は、グループ・レッスンを全て受講し、お腹の大きかった(妊娠5ヶ月)妻まで巻き込み、一緒にプライベート・レッスンも取りました。DVDに入っていたステップは、全て覚えてしまうくらい、穴の開くほどDVDを見ていましたが、実際のレッスンでは、アブラッソ、体重の移動、そしてリードの方法が、まるで違いました。この患者は、「ダニエル・ラパドゥーラのスタイルをより深く理解したい」という思いを日に日に強くしていったのです。

症状 第2段階

 この頃から中毒症状の第2段階といわれるタンゴコンテストへの参加による快楽追求の症状が、顕著に現れてきます。第2回タンゴダンス選手権サロン部門でファイナリスト、そして、10月に行われた第1回オープンタンゴ選手権サロン部門では、準優勝し、コンテストに出る止め処のない快楽に浸るようになります。そして、もっともっとセントロスタイルを勉強したいという欲望がついに抑えられなくなってしまいます。その時、患者の師匠から「アシスタントにしてあげるからブエノスにおいで!」そして「自分の持っているすべてを教えてあげるよ」という患者にとって最高の誘惑により、アルゼンチン行きを決意してしまうわけです。

 2005年の2月に3度目のブエノスの地を踏み、師匠のアシスタントをしながら、レッスンを受け始めます。4月までの3ヶ月間にセントロスタイルの基礎を叩き込まれます。その間に、ブエノスでの生活の拠点となる家を探してしまいます。師匠の紹介でボエド地区でベッド&ブレークファーストを営む方のところにお世話になっていたこともあり、ボエド地区が気に入ってしまいます。この地区には、タンゴと関連のある場所がたくさんあり、とてもタンゴを身近に感じられたからです。ボエドという曲もあるくらいですから。そして、10件位の物件の中から現在の住まいに決め、購入しました。

症状 第3段階

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(Casa de Ana外観)

 アジア大会参加(ファイナリスト、審査委員長賞受賞)のため一度帰国しましたが、6月の末に再び戻ってきて、宿屋「Casa de Ana」開業のための準備をしました。「Casa de Ana」という名前の由来は、患者の妻のタンゴネーム(師匠が付けたのですが)Anaの家ということで、タンゴフリークが集まるアットホームな宿屋を目標としてつけました。8月のオープニング・パーティーには、世界大会に向けて日本から来ていた、多くのタンゴダンサーの方々をお迎えすることが出来ました。

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(オープニング。パーティーの様子)

患者の楽しみは、お泊りいただいた方々とタンゴの話をしたり、ミロンガに出かけたり、また、セントロスタイルのレッスンをお受けいただいたりして、ブエノスでタンゴを楽しむお手伝いができることに変わっていきます(第3段階)。

症状 第4段階

 さらに、症状は悪化し、今年は、ブエノスアイレス市主催のタンゴ選手権大会(通称メトロポリターノ)のタンゴサロン部門に出場(ファイナリスト:参加約600組中30組)してしまいます。日本人の患者が参加することをよく思わない人もいるのではないかと、心配でしたが、ブエノスのタンゴ中毒患者は、みんな喜んで応援してくれました。そんなたくさんの応援の中踊れることで、患者はさらに幸せな気持ちになっていくのです。

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(世界大会の様子:左が患者)

 次は8月の世界大会サロン部門に出場(セミファイナリスト:62位)してしまいます。ここでは、世界には、タンゴが上手な人(タンゴ中毒症末期)、大好きな人(タンゴ中毒症予備軍)が、他にもたくさんいることがわかりました。患者は、それがわかっただけで安心し嬉しさを感じてしまいます。タンゴは競い合うものではないと思いますが、選手権を通して得られることは、テクニック的にも精神的にも、とても多く、患者のタンゴ中毒の症状(情熱)が、確かめられるのです。そして、毎年参加するように、なっていくようです。

患者から患者へひとこと

 今後、日本にも、このタンゴ中毒症が、全国津々浦々まで浸透していくことと思います。そして、もっともっと多くの日本人の中毒患者が、ブエノスアイレスに、集まるものと思います。でも、この中毒者の増加は、どんなに進んだ医療技術をもってしても、止められないのです。なぜなら、タンゴ中毒症は、人間の心の奥底にまで入り込み、快楽を与え続けるからです。この文章を、お読みの皆様、お気をつけください。でも、すでに中毒症状が見られる方は、お早めにブエノスアイレスをご体験ください。お泊りは、Casa de Anaをよろしくお願いします。

Tangofun

Casa de Ana
http://www012.upp.so-net.ne.jp/tango-fun/

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